椿説弓張月、読んだことある?

24. 為朝、娘を手放す

前:23. 為朝、伊豆の島々を去る

為朝(ためとも)、娘を手放す

為朝(ためとも)は、娘の島君(しまぎみ)を連れて八郎(はっちょう)島を離れ、遙か讃岐を目指して進みました。見渡す限りの青海原を、風にまかせて(かい)をあやつり、島君を抱っこしながら行きました。ウトウトしては千鳥の声に目覚めさせられ、途中で無人島に寄っては水と薪を補給し、何日もの苦難をあじわった末、ついに奇跡的に四国にたどり着くことができました。着いたのは、讃岐の遭日(おうひ)(うら)というところです。

世を忍ぶ身ですから、為朝はすぐに陸には上がりません。夜が充分更けるのを待ってからこっそり上陸するつもりです。

近くには、たまたま別の船がありました。大きめの船に主従が10人ほど乗っていて、今晩は月を見ながら酒盛りをして楽しんでいるようです。翌朝に出航するつもりなのでしょう。為朝はずっと気配を消して様子を見ていました。

為朝「(まあ、ここから見る海はなかなかの風景だから、ああして楽しみたくもなるよな。オレはウンザリするくらい見たからもういいが…)」

やがて宴会は終了し、みな眠った気配です。為朝はそろそろ上陸しようと判断し、島君を起こして弁当を食べさせはじめました。

このとき、一艘の早船が別の場所から現れ、例の船につけました。そこから海賊とおぼしい男たちがどんどん乗り移り、「カネと荷物をすべてよこせ」と大声で叫び始めました。

為朝「(む… 大丈夫かな)」

騒ぎがいよいよ大きくなりました。船に乗っていた者たちもそれなりに心得はあったようでしたが、不意を突かれたのでろくに戦えず、次々と傷を負って倒れました。その中で、主人とおぼしい男もまた、奮戦して数人の賊までは撃退したものの、多勢に無勢、ついに絶体絶命のピンチに陥りました。

そこに、為朝がヒラリと甲板に躍り上がりました。見るに見かねたのです。「おい、オレが相手になってやろう」

為朝は船についていた大きな(かい)をひっつかむと、それを軽々と振り回して、見る間に賊を撃退していきました。クビを折られ、スネを砕かれ、賊たちはほとんどが死ぬか虫の息になるか、または海に転落して浮かんできませんでした。

船の主人を襲っていたのは、蜘手(くもで)渦丸(うずまる)という有名な海賊でした。為朝が鬼神のように強いのを見て驚き、不利を悟って逃げだそうとしましたが、主人のほうは、それを逃がすまいと追いすがりました。

そして、前方には為朝。渦丸(うずまる)は挟み撃ちになった格好です。渦丸(うずまる)は焦りましたが、為朝がたたきつけようとした(かい)を紙一重でギリギリ避けて、そのまま海中に転落しました。

為朝「む、なかなか器用によけたな。ま、無理に追うことはないか。それはそうと、ご主人、無事か」

主人「あ、あなたはヒーローだ。ぜひ中にお招きして、ちゃんとお礼をしたい」

為朝「いや、オレは世をはばかる身なのだ。構わないでくれ。それよりもまずは、部下たちの手当をしたほうがいいぞ」


部下たちは、幸いにもみな比較的傷が浅く、出血さえ止めればなんとか動けるものばかりでした。みな口々に為朝を称えました。為朝(ためとも)は、構わないでくれといい続けましたが… 主人は、為朝の顔を不意にじっと見つめました。何かに気づいたのです。

主人「あなたは… まさか、大島で死んだはずの、(みなもとの)八郎(はちろう)為朝(ためとも)どのなのではないか?」

為朝「なに、なぜ私の正体を… あっ、お主は、(とうの)季範(すえのり)どのか! 兄(義朝)の(しゅうと)の!」

季範(すえのり)は、熱田の大宮司をしている男です。為朝にとっては親戚筋なのでした。

季範(すえのり)「おお、生きておいでとは… 義朝(よしとも)どのはもちろんのこと、清和源氏の嫡家が先の争いで滅んでしまったこと、まことに無念に思っておりました。ぜひ、こんなところにいる事情を聞かせてくだされ。私のほうはというと、ここにある讃岐院の墓をたずねて、かつての恩をあらためて感謝してきたところだったのです。あの方の推薦のおかげで私は大宮司になったのだから」

為朝は、今までの冒険のことをすべて季範(すえのり)に語りました。季範(すえのり)は、為朝が自分の船に娘の島君を残していることを聞くと、すぐに部下をやって彼女もこの場所に連れてきました。

季範(すえのり)「よくわかりました… 為朝(ためとも)どの、どうか死ぬなどと言わないでくだされ。私とともに尾張に行き、そこで暮らしてくだされ。私の孫である犬稚丸(いぬわかまる)を養子とし、大きくなったら島君(しまぎみ)とめあわせて、末長く家を残してくだされ…」

為朝はこの申し出をキッパリと断ります。「いや、私にとっては、ここで死ぬことこそが本望なのだ。あまりしつこくそういう話をすると、今すぐここで切腹してやるぞ」

季範(すえのり)「わ、わかりました、私が間違っておりました」

為朝「しかし… 島君(しまぎみ)のことだけは、おぬしに任せてよいだろうか。彼女のことは、やむを得ず死なせるしかないと思っていたのだが、おぬしが育ててくれるなら安心だ。おぬし自身も源氏の縁者だしな」

季範(すえのり)「よろこんで!」

こうして為朝と季範(すえのり)は、島君(しまぎみ)を養女にするための約束の盃を交わしたのでした。また、季範(すえのり)の強い望みにより、犬稚(いぬわか)を為朝の養子とするという約束もついでに交わしました。島君は何が起こっているのかを知らずポカンとしています。

季範(すえのり)は、今回の引出物として、為朝に一式の装束を贈りました。「これはもともと、私が為義(ためよし)さまからいただいたものです。大事な儀式には、必ずこれを着ているのですぞ」

為朝「おお、今の私にとっては何よりうれしいプレゼントだ。今から新院の御墓(おんはか)に参るのに、こんなボロい服しか着ていないのは心苦しかったのだ。ありがとう! この衣装を見ていると、父上を目の前にしているようだ。実に懐かしい…(ちょっと泣く)」

為朝(ためとも)は少しばかりシンミリしましたが、キッと顔色をあらためて島君(しまぎみ)のほうを向きました。

為朝(ためとも)「聞け、島君(しまぎみ)。お前はこれから、この季範(すえのり)の子だ。よく孝行するのだぞ。私の顔を見るのはこれまでだ。よいな、ではさらば」

島君は、悲しさのあまりしばらくは声も出せずに、涙をボロボロこぼしました。季範(すえのり)がいろいろと慰めようとしますが、そんな声が今の彼女に聞こえるはずがありません。

為朝は今もらった衣装をひっつかみ、悲しみを振り切るために全力で走り去りました。背後で島君が「ちちうえ」と絶叫する声が聞こえましたが、為朝は心を鬼にして走り、二度と後ろを振り向きませんでした。彼はついにひとりぼっちになりました。


島君(しまぎみ)の後日談:

彼女はこの朝、季範(すえのり)に連れられて尾張に戻りました。為朝と別れたその日を彼の命日と決め、仏事を欠かさずつとめました。やがて、(みなもとの)義実(よしざね)と名を変えた犬稚(いぬわか)丸と結婚し、子をもうけて、幸せに一生を送りました。義実(よしざね)もその子も、よく出世して朝廷に重く用いられましたとさ。この話は本筋と関係ないので、ここまでです。


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