里見八犬伝のあらすじをまとめてみる

108. 素藤、命をゆるされる

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■素藤、命をゆるされる

素藤(もとふじ)たちが降伏して館山(たてやま)城が落ちたというニュースは、この城を遠く囲んで攻略中だった里見義成(よしなり)のもとにすぐに伝えられました。

というか、朝がたに蜑崎(あまさき)照文(てるふみ)が「犬江親兵衛、富山に現れてそのまま館山攻略戦に参戦」のニュースを義成(よしなり)の陣に持ってきて、これを詳しく聞きながら感心していたところ、昼にはそれがもう「館山陥落」のニュースに差し替えられたのでした。とんでもないスピード感に、義成(よしなり)も家臣たちも、また照文(てるふみ)さえも、はじめは呆然としました。そしてだんだんとそれが激しい喜びに変わっていきました。

義成(よしなり)「うおお、これを天の助けと言わずしてなんと言うべきか!」
照文「本当にすごい。たった一人の犬士が戦に加わっただけで、この目ざましさ… 八人そろった時には、どうなることやら、本当に見当さえつかないですね…」

しかし、一応軍を指揮するものとして冷静さを取り戻し、さっそく義成(よしなり)はこのあとの段取りを決めました。家臣の何人かに兵力を割いて与え、館山を留守番して守っているという矠平(やすへい)の援護を命じました。

やがて、館山の城門からゾロゾロと行列が出てきて、それはやがて義成の陣のもとに到着しました。行列の先頭は、丸太に縛りつけられた素藤(もとふじ)を車で運ぶ人々。その次には、手を縛って数珠つなぎにされた、願八(がんぱち)盆作(ぼんさく)といった重臣たち。ついで、その他の敵側の兵士たち。そしてその次に、諏訪(すわ)神社に詣でたときと同じカゴに乗って同じ装束を着た里見義道(よしみち)。最後にからそれを守る親兵衛が続きました。この行列全体を、近辺の村人たちが見物にきました。

素藤は、かつて義道に行ったことの意趣返しとして丸太縛りの辱めを受けながら、ぼんやりと、「あー、親父が京で捕まったとき、確か祇園(ぎおん)祭りの山鉾(やまほこ)を見物してたんだっけなー。オレ今、山鉾(やまほこ)みたいな目に会ってるなー」と考えました。

やがて親兵衛は、義成の前に見参し、「ただいま、犬江親兵衛が、神女の助けを得て、敵をしりぞけ、御曹司をお連れしてまいりました」と喜びを述べ、義道を義成に対面させました。義道は、よろこぶというよりは神妙な顔をしています。

義道「父上、このたびは敵に捕まるという不孝をいたしまして申し訳ありませんでした。辱めを避けてすぐにも死ぬべきだったのですが、敵に見張られてそれもかなわなかったのです。今回、恥をすすぎ、こうして生きて戻れたのは、すべて犬江親兵衛のおかげです」

義成「うむ、今回の事件は、私自身の油断からも出たことであった。反省しなくてはいけないな。しかし、今回のような苦労をしたことは、お前にはよい勉強だったと考えるがいいぞ。君主たるもの、いろいろな苦労を身に染みて体験しておく必要があるのだ。そうしなければ、チヤホヤされるだけの、おごり高ぶった人間になってしまうからな」

義道「はい」

義成「そして、親兵衛の今回の働きを忘れるまいぞ」

義道「はい! 親兵衛どの、まことにありがとうございました!(涙)」

義道は親兵衛のほうを向くと、額づいて三拝の礼をとりました。親兵衛は背中に汗をダラダラかいて恐縮しながら、そんなことはしないで下さいと頼みました。

義道「親兵衛どのだけではない、あなたの後ろにいる、伯母上(伏姫)の霊にも感謝をささげるのです。どうかやらせてください(ペコペコ)」

親兵衛「い、いやー…(ド緊張)」


さて、家老のひとり、(とうの)六郎(ろくろう)辰相(ときすけ)がやってきて、親兵衛の働きをひととおりほめたたえたあと、「ところで、素藤(もとふじ)らの今後の処分についてですが…」と切り出しました。

辰相(ときすけ)「稲村に連行してから首をはねるか、ここですぐに首をはねるか、どうしましょうか。私的には、今すぐやっちゃうのが色々とよさそうに思います。見せしめにもなります」

義成「うん、どうしようか。親兵衛の意見も聞いてみたいな。どう思う?」

ここで親兵衛の出した意見は驚くべきものでした。

親兵衛「うーん、、というのはだめでしょうか」
義成・辰相(ときすけ)「えっ、まさか!」

親兵衛「私はさっき、館山の城内で素藤(もとふじ)を取り押さえたとき、『すぐに降伏すればお前らを滅ぼさない』と言ったんですよ。皆がそれに従っていうことを聞いたおかげで、今回はうまくいったのです。ひとりでも命知らずの勇士が向こうにいたら、多分私は生きていませんでした。彼らは所詮、小粒の悪党たちです。許して追放したとしても、その後大したことはできないと思うんですよ」

辰相(ときすけ)「そ、それは確かに『(じん)』の字にふさわしい考えかも知れんが… しかし、今回はそれはやりすぎではないか。その考え、虎を野に放つようなものと私は思わざるをえない」

親兵衛「もしも素藤(もとふじ)が再び反乱のようなことをしたら、その時こそは、私が責任を持って彼を誅殺します。どうでしょうか、命を許してやるわけにはいきませんか」

義成は考え込みました。

義成「うーん、常識で言えば辰相(ときすけ)が正しいのだが、今回は必ずしも常識が役に立たん。…よろしい、親兵衛の意見を容れることにしよう。素藤の罪は、たかだか私怨にもとづいたもので、天にたてつくような種類のものではなかった。今回は、仇に報うに徳をもってしよう。この決断が、我々の治世をより強固にすると信じよう」

辰相(ときすけ)もついに賛同しました。

義成は、滝田で待っている里見義実のもとにも使いを走らせ、今回の事件が無事に解決したことを知らせました。

こうして、素藤の処遇は死刑でなく国外追放、ということに落ち着きました。ただし、罪人であることを示すため、額に黒い十字の入れ墨をすると決められました。素藤の家臣たちも同様です。

親兵衛は、罪人たちのもとへ歩いていき、今回の処分を決めた国主の慈悲深さを諄々と説き聞かせ、「もう一度悪さをしたら、この親兵衛がどこまでも追いかけてお前らを殴りつぶすからな。忘れるなよ!」と脅しました。

罪人たちは、入れ墨をされ、百回(素藤以外は70回)ムチで背中を打たれ、それぞれがバラバラの場所に船で連れていかれ、その場に置き去りにされました。ひとまとまりのまま追放したら、その場でまた団結しますからね。

翌日、義成たち一同は、館山の城に入り、中の様子を確認しました。そこで留守番をしていた矠平(やすへい)に会い、今回の働きぶりに最大級の賛辞をあたえました。また、籠城の準備のために、城のまわりにいた村人は家を焼かれてしまっていたのですが、彼らへの補償もいろいろと手配しました。その他、素藤の悪政に苦しめられていた民に次々と救済の手をさしのべ、義成たちは熱狂的に歓迎されました。

ただし、素藤を死刑にしなかったというウワサを聞いた村人たちの中には、「それは罪を憎んで人を憎まぬ仁政というよりは、ただのなのでは…」という考えをつい持ってしまう者もあるようでした。この処置が、のちに思わぬ結果をひき起こすのですが、今回はそこには触れません。


さて、館山(たてやま)城攻略の顛末はこんなところですが、隣の榎本(えのもと)城を攻めていた堀内(ほりうち)蔵人(くらんど)杉倉(すぎくら)直元(なおもと)はどうなったでしょう。

結論から言えば、こちらも全勝でした。

館山の素藤にもともと味方していたのが、榎本(えのもと)城の千代丸(ちよまる)図書介(づしょのすけ)豊俊(とよとし)椎津(しいつ)城の真里谷(まりや)信昭(のぶあき)、そして丁南(ちょうなん)城の武田(たけだ)信隆(のぶたか)です。この中でいちばん大きな領地が榎本(えのもと)だったので里見軍はそこを攻めたのですが、三人の城主たちは連合してこれらに対抗して戦いました。

ただ、この中の真里谷(まりや)が、のちの利益を考え、残りの城主たちを裏切って里見側に寝返ったのです。真里谷(まりや)は、義成の亡き母である五十子(いさらこ)女史の親戚でもありましたし、たぶん里見に寛大に扱われるだろうという目算もありました。

戦のくわしい内容は省きますが、結局、千代丸(ちよまる)豊俊(とよとし)は敗北して捕らわれの身となり、武田(たけだ)信隆(のぶたか)も軍のほとんどを失って甲斐に逃げてしまいました。堀内(ほりうち)杉倉(すぎくら)は、この戦勝によって、さきに八百(はっぴゃく)比丘尼(びくに)こと妙椿(みょうちん)の幻術にだまされて損なってしまった名誉を挽回することができたのでした。



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