里見八犬伝のあらすじをまとめてみる

92. 定正、忠臣の言葉をはねつける

前:91. 七人の犬士とふたりの敵

定正(さだまさ)、忠臣の言葉をはねつける

籠山(こみやま)逸東太(いっとうだ)縁連(よりつら)は、犬阪毛野が敵討ちのために目の前に現れたので、死んだ馬を捨て、田んぼの方向に逃げました。すこしでも逃げて時間をかせげば、後続の手下たちが助けに来てくれるとの計算もありましたが、基本的にはビビって逃げただけです。

毛野は、刀から血をしたたらせて、鬼のような形相で縁連(よりつら)を追います。縁連(よりつら)はいよいよ追いつかれそうになってきて、近くの木の後ろに隠れると叫びました。

縁連(よりつら)「おい聞け。確かに俺は、やむをえぬ命令で粟飯原(あいはら)胤度(たねのり)を殺したことがある。しかしヤツの息子は、夢之助(ゆめのすけ)ひとりだったはずだ。しかもそいつはすでに死んでいるのだ。なぜカタキ討ちなどとウソを言う。お前は敵対勢力の回し者だな」

毛野「本当のカタキ以外を相手に、こんなことをするものか。私は、胤度(たねのり)が側室に生ませた隠し子だ。千葉の領地で馬加(まくわり)大記(だいき)を討ったのも私だ。残るカタキはお前のみ。甘んじて天罰を受けろ」

このようにして、毛野と縁連(よりつら)の戦いが始まりました。湖水に走る月影のように、両者の繰り出す刃がうねうねときらめきました。縁連(よりつら)の槍の腕も相当なものですが、毛野の剣術はそれに勝ります。だんだんと縁連(よりつら)の調子が悪くなっていき、数か所の浅手を負いはじめました。

この様子を、後続から駆けつけた手下たちも目撃しました。田んぼの中は凍った水が張っていて細いしか進めないので、三人がそれぞれ三方向から現場に追いついて縁連(よりつら)の助太刀に行くことにしました。一番近い正面コースは鰐崎(わにざき)、すこし遠回りな東西コースは竈門(かまど)越杉(こすぎ)仁田山(にたやま)が受け持ちました。それぞれが十数人の雑兵も連れて行きますから、このままでは相当な人数が毛野を追い詰めることになります。

しかし、西コースを取った竈門(かまど)は、道の途中のワラ塚から何者かに突き出された槍に馬を突き殺されてころげ落ちました。東コースの越杉(こすぎ)も同様です。そして両方向の男たちは同時に姿を現しました。

西コースの男「多勢をたのむ卑怯者どもめ、犬阪毛野の敵討ちを邪魔はさせん。われこそは毛野の義兄弟、犬田小文吾悌順(やすより)!」

東コースの男「同じく、犬阪の義兄弟、犬川荘助義任(よしとう)! 誰一人、ここから先には行かせんぞ。とくにそこの仁田山よ、お前には個人的な恨みもある」

その後、竈門(かまど)は小文吾と戦うもあえなく突き殺され、越杉(こすぎ)は荘助の攻撃に倒れたところを、逃げる味方(仁田山)の馬に踏みにじられました。仁田山が逃げるのを荘助は許さず、全力で追いました。実は仁田山は、かつての庚申(こうしん)塚での事件のとき、信乃と荘助の首だと偽って、力二(りきじ)尺八(しゃくはち)の首を持って帰った当人なのでした。ちょっと許せない理由があったんですね。


さて、鰐崎(わにざき)悪四郎(あくしろう)だけは、最短距離の正面コースをとって、毛野と籠山(こみやま)の戦いに間に合いました。

鰐崎(わにさき)籠山(こみやま)どの、無敵の男、悪四郎(あくしろう)猛虎(たけとら)が来たからにはもう安心ですぞ! おのれ犬阪とやら、犬が虎に勝てると思うなよ」

毛野は鰐崎(わにさき)後目(しりめ)に見ながら、縁連(よりつら)の槍先をハタと切り落として、ひるんだところの肩先を切って倒しました。深手ですが、まだ縁連(よりつら)の絶命にはいたりません。

毛野「もうちょっとなのに、邪魔をするな」
鰐崎(わにさき)「てめえの相手は俺だ」

鰐崎(わにさき)が猛然と向かってきました。たいへんなスピードで槍先を繰り出しますが、毛野はこれをことごとくかわします。やがて鰐崎(わにさき)の槍は近くの切り株に刺さってしまいました。このスキに毛野は刀を振り下ろそうとしますが、鰐崎(わにさき)はそれをよけて足払いで応戦しました。毛野はこれにバランスをくずし、持っていた刀を落としました。

鰐崎(わにさき)「もらった」

鰐先(わにさき)と毛野の勝負は、素手でのそれに移りました。鰐先(わにさき)は持ち前の怪力で毛野の体をつかみ、頭上に持ち上げました。

毛野「ううっ」
鰐崎(わにさき)「このまま地面に叩きつけてくれる」

鰐崎(わにさき)が手を振り下ろすと同時に、毛野は鰐崎(わにさき)の体を思い切り蹴って宙返りし、前方に逃れました。鰐崎(わにさき)はこの蹴りで肋骨を砕かれて倒れました。

毛野が鰐崎(わにさき)のマウントポジションを取ってとどめを刺そうとすると、追ってきた雑兵たちがそれを防ごうとして一斉に押し寄せました。毛野は鰐崎(わにさき)を押さえていないほうの手ですばやく石つぶてを投げつけ、数人の眉間を割って倒し、残りを追い払いました。邪魔がなくなったところで、毛野はもがきつづける鰐崎(わにさき)の髪をつかみ、腰から新たに取り出した短刀で首を切り取りました。

縁連(よりつら)は、このとき、ヨロヨロと起き上がって、毛野に気づかれないように後ろから刀を構えました。が、毛野が気づかないはずはなく、縁連(よりつら)が振り下ろした渾身の一撃に、すばやく振り向き、持っていた鰐崎(わにさき)の首を盾にしてかわしました。縁連(よりつら)がもう一度刀を振り上げると、毛野は今度はこの首を投げつけました。そしてよろめいたところを刀で横に一閃! 縁連(よりつら)はとんぼ返りをうって地面に倒れましたが、そのときすでに、縁連(よりつら)の体と首は離れていました。


毛野はあたりを見渡すと、落とした刀を拾い、血をぬぐって鞘におさめました。そうして「フー」と息をつくと、晴れやかな顔になりました。田の水で縁連(よりつら)の首級を洗うとこれを切り株の上に乗せ、ちょうどよい位置にあった若枝には父の名が記された小さな掛け軸をひっかけました。

毛野「(手を合わせて)籠山(こみやま)に殺された父の霊よ、そして馬加に滅ぼされた一族の霊よ、この首級を(にえ)として受けたまえ。そして恨みを晴らし、安んじて成仏したまえ。ナムアミダブツ…」

毛野は静かに涙を流し、長い間、手を合わせたまま祈り続けました。

そして祈りが終わったころ、この場所に、小文吾と荘助が合流しました。ふたりとも、毛野が宿願を果たしたことを喜んで、満面の笑顔です。

毛野「おお、小文吾さんに、犬川どの! さきほどは思わぬ助太刀、感謝のしようもありません。あのまま三方向から敵に攻められていたら、私も危ないところでした。…しかし、どうしてここが分かったのです?」

荘助「説明すれば長いのですが、まずはここから離れましょう。ここらは(ひら)けていて、また攻められると面倒です」
毛野「確かに」
荘助「縁連(よりつら)の手下はほぼ片付けましたが、仁田山(にたやま)だけは逃がしてしまいました。まあ、深追いは危険なことですから、まずはこれでよしとしましょう…」

実は仁田山(にたやま)は、五十子(いさらこ)城に逃げ帰る途中に、別に待ち伏せしていた犬士がまんまと捕まえたのですが、この話はまたあとで。


このカタキ討ちの事件は、すぐに五十子城の扇谷(おうぎがやつ)定正(さだまさ)に伝えられました。

第一報は、「【速報】竜山(籠山の偽名)とその手下たちが、敵討ちを名乗る男ほか二人と交戦中」という程度のものでしたから、定正は安心していました。「そんなに少ない相手なら、まあ問題はないだろう。こっちには最強カードの鰐崎(わにさき)もいるからな」

(もっとも、このニュースを聞いたほかの家臣の多くは、ひそかに「竜山め、この機会に死んでしまえばいい」と思いました。嫌われていたんですね)

しかし、十数分後に届いた続報は「【悲報】竜山と手下たちは全滅、仁田山は行方不明」という、定正(さだまさ)にとっては最悪のニュースでした。タカをくくっていた分ショックは大きく、定正は怒りを爆発させました。

定正「片腕と思っていた重臣を殺され、同盟の使節団まで壊滅させられるとは、こんな恥辱があるだろうか。これを放っておけば隣国の笑いものになることは必定(ひつじょう)だ。敵はまだ疲れているはずだ。俺がみずから出て行って、からめ捕ってくれる。その後、八つ裂きにするのだ。ヨロイと馬を準備しろ!」

定正は、いかめしい鎧で完全武装し、頭には竜頭(たつがしら)の兜をかぶり、藤巻という名刀と、さらに小刀と長刀(なぎなた)も身につけました。庭には300人近い雑兵が新たに編成されて、主の出陣の号令を待っています。

そこに、重臣、河鯉(かわこい)権佐(ごんのすけ)守如(もりよし)が飛び込んできて、定正の乗る馬のにすがりつきました。

河鯉(かわこい)「おやめください、定正さま、気はお確かですか!」
定正(さだまさ)守如(もりよし)、そこをどけ」
河鯉(かわこい)「竜山が討たれたことは、ついさっき私も知らされました。しかし、こんな早まったことをしないでください」
定正(さだまさ)「せずに済むものか。どけ!」

河鯉(かわこい)「今回のことは、北条の下風に立とうとする今回の同盟が間違っているという神仏の思し召しとはお考えになりませんか。竜山(たつやま)はかつて籠山(こみやま)と名乗る男でした。千葉に仕えていたころ、忠臣・粟飯原(あいはら)胤度(たねのり)をだまして殺したのです。今日彼が殺されたのはそのカタキ討ちのためだったとか。そうです、これはきっと、北条との同盟が間違っているという印なのです!」

河鯉(かわこい)「むしろ、あの犬阪毛野を家臣に迎えることを考えてはいかがです。親の敵を長年追って、ついに今回カタキ討ちをはたしたその孝行ぶりのすばらしいこと。またあの猛虎(たけとら)さえ倒すというその武勇のたのもしいこと。口先だけうまく、自分の利益のために殿をたぶらかしつづけた竜山とは、天と地ほどの違いがありますぞ!」

定正(さだまさ)「お前は味方をけなし、敵をほめるのか。私がというのか。このまま敵を放っておいて、笑いものになれというのか。無礼者!」

定正は河鯉(かわこい)に向かって力いっぱいムチを振るいました。ひたいの肉が破れて顔面が血だらけになりましたが、河鯉(かわこい)は顔をそむけませんし、馬のくつわも放しません。血だけではなく、その頬には涙もつたって流れます。

河鯉(かわこい)「殿に忠義を尽くそうとするがゆえの諫言(かんげん)でございます。はっきり言いましょう、私は竜山が討たれてうれしゅうございます。他の家臣どもも同様でしょう。殿が目を覚ましてくれるかと思ってです。これでもまだ足りませぬか。犬阪毛野は、世にもまれな豪傑ですぞ。近くに彼の仲間が潜んでいるとすれば、それらも劣らぬ豪傑でしょう。殿が出て行くのは危険すぎます。どうしてもというなら、私が出て行って彼らを捕らえてきます!」

定正(さだまさ)「お前のような腰ヌケが頼りになるか。もはや聞く耳もたん!」

定正は、馬のあぶみから足を上げて、河鯉(かわこい)の胸を蹴飛ばしました。そして、倒れて失神した河鯉(かわこい)を見返りもせず、「者ども、つづけ」と叫ぶと、脱兎の勢いで城門を出て行きました。


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